Home

Home バックナンバー いろんな独り言 

8/9 長岡「山本五十六記念館」
 プラモを作る時間の無いこの頃.週末も職場のイベントが毎週のように入っていてサイトの更新が滞っています.でも,この忙しさも先週で一息ついて,今週はエコ週間で強制休暇モード.何ヶ月も放置プレーのマットビハイクルを完成できそうです.さて,今回のアップは出張で先月末の土日に行った長岡.午後からの用事だったので早めに長岡入り.千円高速のお陰で安くいける分,渋滞回避にも気を使います.遅くなって見て回れる時間が無くなると車で行くメリット無いですからね.途中の事故渋滞はすかさず高速を降りて次のICで直り直し,ストレス無しで到着することが出来ました.


 長岡をウェブで調べると観光できるところって数少ないんですね(^_^;.でも私にとって何としても行きたいのが「山本五十六記念館」.長岡生まれである,彼の山本元帥の記念館だけど,軍人個人の名の付いた記念館って日本じゃここだけじゃないかな.長岡全体が割と静かな街で,大通りから一本入った通りに面した記念館も意外なくらいひっそりした佇まいでした.それでも朝から一人二人と訪れる人が後を絶たないのは,やはり元帥のお人柄の表れでしょう.


 山本元帥の肖像画.この頃はすでに日本の行く末を案じていたのでしょうか.

 展示室の中央に置かれた一式陸攻の左翼.

 日の丸付近の前縁部は墜落時に木にあたったのかペチャンコ.装甲の薄さを物語っていますね(--;.


 現地の写真も展示してありました.


 1/48の模型で展示してある翼の部位を示しています(整備兵が乗っている先と翼端の黄線の間).護衛の零戦と比較するとかなり大きい.B29はこれ以上だったのね.


 山本元帥が息を引き取った時に座っていた座席.墜落のショックでか左の肘部がひしゃげています.(記念館で販売されている展示図録集に掲載された写真は右肘部も曲がり,左腰上にあたる部分(レ字状に色が変わっている部分)にヒビ割れがあります.どうやら展示品は修正されたようです.8/11記) 航空決戦を説いた山本元帥が機上で撃たれて亡くなったのは考えるものがありますね.


 戦時の駆け引きの強さは日頃のゲームで培っていたのでしょうか.


 昔の人は皆,達筆だけど儒学者の家庭に育った山本元帥は特に達筆で,知人に宛てた手紙からも伺えます.写真は本人が作った印鑑.判りやすい筆体が性格を表していると説かれています.


 これは中学4年の時の書画とのこと.まさに多才な元帥です. 本人もそれを思ってかサインは「多か能五十六」とのこと(^_^;.


 記念館から1ブロック先に山本元帥の生家があり,付近が公園になっています.


 木造の家は一見,平屋と思ったら二階建て.


 かなり古かったので,てっきり保管状態の良い「現存」かと思ったら復元だったのね.


 外から見たよりも入ってみると広く感じました.室内にはなぜか元帥の胸像があります.窓は閉まっていたけど,開け放つと涼しそうな,典型的な日本家屋ですね.


 階段は恐ろしく急です.表から見て分かるように二階の天井はかなり低く,居心地の良い屋根裏のような感じでした.


 山本元帥のお墓が記念館から車で数分のところにあるのでお参りに行ってきました.この時は他に訪れる人を見かけなかったけど,墓地全体が綺麗に手入れがされていて寂しさは感じませんでした.


 お墓を写真に収める趣味はないので銘板のみ撮影.


 新潟と言えば酒所.思い起こせば日本酒が旨いと思い始めたのが,自分の稼ぎで良い酒を選んで飲み比べられるようになってから.ちょうど「モーニング」で「夏子の酒」が連載され始め,精米度による違いと製法による違いを初めて知り,精米度の高い醸造酒より,普通の純米酒のほうが自分に合っている(悪酔いしない)のを体で知りました.そんな切っ掛けの「夏子の酒」のモデルになった「久須美酒造」が長岡の外れにあると聞き,帰りがけに足を伸ばしてみました. 市街から車で40〜50分走ったところで,稲の絨毯の向こうに白く清潔そうな倉のような建家が見えると思ったら「夏子の酒ロケ地」の柱を発見.


  できれば蔵元に行って「亀の翁」を手に入れたかったけど,何となく田んぼや蔵元が神聖な感じがして,車で田んぼ横切って行く勇気がありませんでした.もう少し気分が高まったら通販で手に入れようかと思います.
 この後,帰路についたんだけど,途中で有名な棚田を見ようと山古志村を通ったら注意報が出るくらいの大雨になってしまい,ものすごく心細い思いをしながらひたすら峠越え(--;.今思えば最後に降られたけど,雨の多かった週に晴れた昼間に行動できたのは吉でした.終戦記念日には映画「山本五十六」のDVDを観て過ごそうと思います.